現在放送中のNHKドラマ10・男女逆転「大奥」第1話で徳川吉宗を冨永愛さんが演じてかっこよすぎると話題になりましたね!
第2話から春日局が登場したのですが、斉藤由貴さん演じる春日局が怖いとまた話題になっています。
そこで今回の記事では、大奥NHKで斉藤由貴さんが演じている春日局を掘りさげて実際の歴史上の人物である春日局について調べてみました。
※この記事では、よしながふみさん原作「大奥」の春日局とはまったく関係がない事をご了承ください。
そこで歴史上の春日局について調べたところ、春日局は家光の実母?ではないかという実母説がありましたので、解説していきたいと思います。
歴史の背景を想像してドラマを見てみるのも面白いですよね!
では、春日局は家光の実母?大奥NHK斉藤由貴の春日局も話題!を解説していきたいと思います。
NHKの大奥斉藤由貴の春日局も話題!春日局は家光の実母という実母説がある
出典元:NHK
春日局は家光の乳母ですが、実は家光の実母ではないかという説があります。
そこで詳しく実母説がある理由や、家光の生母であるお江との対立を解説したいと思います。
春日局と嫡男家光VSお江と次男忠長
3代将軍家光は嫡男でしたが、2代将軍秀忠とその正室お江の間に次男が誕生します。
生母であるお江は、嫡男家光よりも、次男の忠長の方をかわいがるようになっています。
そこで家光の乳母春日局と正室お江と後継者争いで激しい対立に発展していったようです。
父と母の徳川秀忠とお江は、家光を劣勢に追いやっています。
その為、竹千代(家光)は幼少時に自殺未遂まで追いやられています。
そこで乳母の福が、徳川家康に世継ぎには長幼の序があり、兄弟のうち兄が家督を継ぐのが世の習いである。これが乱れると争いが起こると直訴した事により、秀忠が家光を冷遇していることを目の当たりにした家康は福が言っていることが正しいことがわかり、事実上徳川家光が3代将軍に決まったといわれています。
しかし、この長幼の序に従うという逸話は現在では江戸時代に創作されたものとされています。
春日局の家光の実母説がある理由
上で紹介したような背景がありますが、春日局は歴史上最強の乳母になります。
乳母である春日局がなぜここまで上りつめることができたのか!?
そういう視点から、家光の生母説を唱えた方もあるようです。
春日局が家光の生母である秘密に迫った著書があります。
出典元:ミネルヴァ日本評伝選
「春日局 今日は火宅を遁れぬるかな」:福田千鶴【著】
本書を元に生母説の理由をあげたいと思います。
- 家光も忠長も生母はお江であるのに、忠長を溺愛している
- 家光を自殺未遂まで追いやっている
- 秀忠とお江が忠長を世継ぎにとなっているがその根拠が信ぴょう性に乏しい
- お江が11年間で8人の子をお江が産んだとは考えにくい
- お江の生前は家光の誕生日が伏せられている
- 幼少期は忠長の方が家光よりも格上の小姓がついている
- 江戸時代は正室が管理している待女に子を産ませることもある。
- 子を産むことで側室に取り立てるわけでもなく、一時的に腹を提供することがある。
など他にも理由を書かれています。
真実は、本人しかわかりませんが、どうでしょうか!?
春日局はどんな人?家光の実母?
出典元:NHK
まずNHKのドラマ10大奥の斉藤由貴さん演じる春日局は大奥の総取締役で、とても怖い存在に描かれていますね。
歴史上でも春日局は、大奥の取締役で強くたくましく、したたかな女性のようです。
なぜ、春日局はそんなに強くてたくましい、したたかな女性になったのか?
春日局を掘りさげて見ていきたいと思います。
春日局とはどんな人?
春日局の生まれた時の名は、斎藤福という名前でした。
春日局と言いう名は名前ではなく、51歳の時に朝廷から春日局という称号をいただいています。
朝廷から従二位というかなり高い位までいただいています。
そんな春日局ですが、どん底から頂点まで這い上がった壮絶な人生を歩んでいます。
さかのぼること春日局の父親は、織田信長を打った明智光秀の家来である斎藤利三になります。
苗字が斎藤なので、斉藤由貴さんと円があったのでしょうか!?不思議な縁を感じますね(笑)
本能寺の変の後、明智光秀が豊臣秀吉に敗れたため、光秀とともに福の父親である利三は処刑されてしまいます。
これを機に春日局は謀反人の娘として呼ばれるようになっています。
福は豊臣勢の追ってから逃れるためにほかの兄弟とも別れ家族は離散してしまいます。
豊臣秀吉の追ってから逃れながら転々としますが、その時に母方の親戚に公家がいて、三條西家に育てられました。
福は、公家の三条西家に育てられた時、書道、歌道などの文化や教養を幅広く身につけていきました。
そして福はのちに母方の実家である美濃の稲葉家に身を寄せ伯父の稲葉重道の養女となります。
そこで婿養子に来た稲葉正成がいるのですが、正成の妻でもあり、重道の娘は結婚して数年で亡くなった為、福が20歳の時に正成の後妻となりました。
その後、稲葉正成は朝鮮出兵で思うような成果がでなかったため、豊臣秀吉に叱責されます。
その時に間に入ったのが、徳川家康だとされています。
豊臣秀吉が亡くなった後、関ヶ原の戦いになるのですが、稲葉正成は小早川秀秋に仕えていました。
小早川秀秋は、合戦当初は秀吉側の西軍の要となっていましたが、東軍の徳川家康に寝返っています。
小早川秀秋が寝返ったことで、秀吉側の西軍は負け、裏切り者として史実に残っています。
関ヶ原の戦いからわずか2年後に小早川秀秋が亡くなり、世継ぎとなるものもいなかった為、徳川家康が主導となって小早川家は家を取りつぶされてしまいます。
このため小早川家に仕えていた稲葉正成は浪人に転落します。
稲葉正成と福は、美濃で半農生活をすることになってしまいました。
生活が激変!春日局が家光の乳母となる
福が半農生活をすることになった時、徳川家康の嫡孫「竹千代」のちの徳川家光の乳母募集がだされます。
乳母の条件には京都に在住経験があり教養のある方という条件がありました。
福は条件をみたしていたこともあり、半農生活から抜け出したいこともあって応募をしたようです。
福は、公家の文化や教養を身につけていたこともあり、見事に竹千代の乳母に選ばれました。
また乳母選任では、稲葉正成を通じて徳川家康と面識があったとも言われ、徳川家康が関与したのでは?という説もあるようです。
乳母に選ばれた福は、夫の稲葉正成と離縁することになりました。
離縁の詳しい理由はわかっていません。
春日局について長くなりましたが、春日局は史実では家光の実母ではなく、乳母になっています。
※乳母とは生母に変わって授乳・養育する女性のこと。
春日局は家光の実母?大奥NHK斉藤由貴の春日局も話題!:まとめ
春日局は家光の実母?大奥NHK斉藤由貴の春日局も話題!を解説してきましたが、いかがでしたでしょうか?
では、まとめたいと思います。
春日局は家光の実母?大奥NHK斉藤由貴の春日局も話題! まとめ
- 春日局は家光の乳母であるが、家光と忠長の後継者争いで正室のお江と激しい対立をしている
- 家光も忠長も生母はお江であるが、お江は忠長を溺愛している
- 家光を自殺未遂まで追いやっている
- 秀忠とお江が忠長を世継ぎにとなっているがその根拠が信ぴょう性に乏しい
- お江が11年間で8人の子をお江が産んだとは考えにくい
- お江の生前は家光の誕生日が伏せられている
- 幼少期は忠長の方が家光よりも格上の小姓がついている
- 江戸時代は正室が管理している待女に子を産ませることもある
- 子を産むことで側室に取り立てるわけでもなく、一時的に腹を提供することがある
- 上記以外でも生母である理由が本に書かれている
違う角度から見ると春日局が生母であるような可能性にもみえますね。
筆者は、生母説以外でも歴史って面白いな~と感じました。
春日局の生い立ちは亡くなった父親の歴史と複雑に絡みあっているなと思います。
春日局の父は、明智光秀の家臣で豊臣秀吉によって処刑され、福(春日局)は、豊臣秀吉の追ってから逃れていたわけですが、のちに福の夫が小早川家の家臣となり、豊臣家を滅ぼす原因となるのです。
そして、家光と忠長の後継者争いでは、織田家の血筋をもつお江と争い結果、春日局の方が勝つのです。
筆者は福が父の仇を打ったようにも思えました。
話はそれましたが、春日局は家光の実母?大奥NHK斉藤由貴の春日局も話題!いかがだったでしょうか?
ここで紹介した背景を見ながらドラマを見てはいかがでしょうか?
ここまでご覧いただきありがとうございました。